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2011.02.01

趙の趙括。

 昨日20:40臥床。本日5:30起床。気温1℃。天気:晴。
 昨日は体調不良だったので、早く寝た。しかし、今日もまだ全快とは言えない調子の悪さ。
 
 
 
 
 そんなわけで、昨日は早く寝たのでアニメが見れませんでしたので、今日は久しぶりに歴史と今の政治について話します。
 
 今日のお題であげた「趙の趙括」とは、どんな人物か知っている人はいますでしょうか?
 古代中国史に造詣のある方なら聞いたことくらいはあるかと思います。
 彼は、中国戦国時代の趙の武将で、趙の名将「趙奢」の息子です。
 
 趙奢という人物は、趙において以前書いたことのある「廉頗」将軍と同じ時期に趙に仕えており、当時趙国を支えていた人物として、藺相如・廉頗・趙奢を漫画「キングダム」では、趙の三大天なんて呼び方もしてますね。
 事実、この三人が政権の中心にいた時は、強大な秦国も趙国には手が出せなかったと言われています。
 
 そんな名将を父に持って生まれたのが、趙括なわけです。
 その上、趙括は幼少の頃より兵法に通じ、論戦では父の趙奢を論破することもあり、将来を嘱望され育っていきました。
 しかし、父の趙奢は「あれの知っているのは、机上の兵法であり、趙括を将軍にすれば必ず負けるであろう」と自らの息子を評価して、亡くなっていくのでした。
 
 時は経ち、紀元前262年、秦・韓・趙の領土問題が起こり、秦と趙の間で戦端が開かれます。
 これがかの有名な『長平の戦い』と言うものです。
 序盤は、秦は王コツ将軍、趙は老いたりとも名将・廉頗将軍によって一進一退の攻防が繰り広げられます。
 廉頗は遠征軍に対しての基本戦術である持久戦に徹し、2年に渡り、秦軍を防いでいました。
 しかし、これに焦った秦の宰相「范雎」が状況を打開すべく、趙国内にある一つの噂を流しました。
 それが「秦国は、趙の総大将に趙括がなるのを恐れている」というものだったのです。
 
 この秦の宰相「范雎」という人物も恐ろしく優秀な人物なんで語ると長くなるので今日はやめますが、この范雎と秦の大将軍・白起の謀略によって、趙の孝成王は廉頗に変わって、趙括を総大将に任じてしまうのです。
 この時、病床にあった藺相如は病をおして、孝成王を諌めたといい、趙括の母親も趙奢の言に従い、趙括を大将軍にしないで欲しいと嘆願したと言われています。
 しかし、孝成王はその諌めを聞き入れずに、廉頗と入れ替えて、趙括を大将軍に任じてしまいました。
 これで我が意を得たりとなった秦は、王コツを副将にし、猛将白起将軍を総大将にして、交戦体制を整えます。
 
 当時、秦国は范雎の少数精鋭政策により、兵数は少ないが強い軍隊を作り上げていました。
 そんなわけで、実はこの戦いは、大軍を率いている趙軍が城に篭り、数の少ない秦軍が攻めると言う、常識としては有り得ない戦況だったんですね。
 ただ秦軍は少数でも精鋭でものすごく強かったわけで、それを見抜いていた廉頗は、敢えて持久戦を選んでいたわけで、猛将としては当時誰よりも猛将であった廉頗が城に篭っていた時点で、それは察すべきことだったのです。
 しかし、そんなこともわからない新米将軍の趙括は、趙軍の方が兵数が多いのに「何故、攻めないのか」となり、数を頼みに秦軍に攻めこむが、誘い込まれて、糧道を絶たれてしまい、逆に包囲されてしまうのです。
 そして、40万とも言われた大軍であった趙軍が、糧道を絶たれた瞬間から飢えに苦しむのは明白で、すぐに飢えて仲間の肉を食べて凌ぐ有様になったと言われています。
 そんな状況に焦った趙括は、手勢を率いて脱出を試みるが、それを白起が見逃すはずもなく、全身矢に射られてハリネズミのような最後を迎えるのでした。
 
 総大将を失った趙軍は、秦軍に降伏することになるのですが、ここで秦にも趙にも白起にも不幸なことが起こります。
 降伏した趙兵が40万と言われる大兵だった為、秦軍は扱いに困ります。
 秦軍は、前述したとおり少数精鋭である為に捕虜にした趙兵の半分くらいしかいないわけです。
 ということは、兵糧から至る物まで半分しかないわけで、この降伏した40万の兵の処遇に困ってしまうのです。
 もしも、この40万の捕虜が反乱でも起こそうものなら、自分たちの死活問題になりかねないとなり、苦慮の結果、この捕虜40万を生き埋めにしてしまうのです。
 この結果、秦人と趙人は非常に恨みあう結果となり、当時趙国の人質となっていた後の「秦の始皇帝」の父にあたる「子楚(荘襄王)」も殺されかけたりしています。
 
 これは日米のバターン戦に似ていると言えば、似ているのかな。
 本来、責められるべきは、趙の将軍であり、米の将軍でなくてはならず、敵国のそれも一将軍が一番責められるという変な論理が働いてるのが似ています。
 そして、私は最も責められるべきは、こんな敗戦をした将軍を任命した『任命者』であるべきだと思うんですが、その任命者が被害者面するところには酷く憤りを感じます。
 
 
 さて、趙括と言う将軍はこれで大体わかっていただけたかと思います。
 そこで今日は、そこから現在の日本の政治について語ります。
 
 私は、趙括を民主党・菅直人に置き換えるとなかなかいい感じになるのではないかと思いました。
 趙括も民主党も前評判だけは、それはもう立派でした。
 しかし、やらせてみるとどうでしょう?
 素人もいいとこ、評判倒れもいいとこではないでしょうか?
 
 そしてです、これを的確に見切っていた人達もいたことも同じかと思います。
 2009年衆院選前に、日本に孝成王を諌めたように藺相如がいなかったかと問われれば、民主党はダメだと諌めていた国民はちゃんといたと答えられます。
 しかし、それを聞かずに民主党に投票した馬鹿がいただけなのです。
 私は、本当に趙括の母が孝成王に「趙括は無能なので失敗しますが、私は止めましたよ。どうしても趙括を将軍にするというのなら、趙括が敗北しても一族の罪を問わないで下さい」と言ったように「民主党が失敗しても、私に害が及ばないようにお願いします」って嘆願したかったです。
 
 ここで今日の総括として、今日のお話しの登場人物と今の日本の状況を当てはめてみます。
 趙括=民主党と書きました。
 それでは、趙の孝成王は誰かといえば、民主党支持者です。
 廉頗を自民党と例え、藺相如を反民主党支持者と例えるのは持ち上げすぎな気もしませんが、まあ、いいでしょう。
 そして、范雎が誰かといえば、敵性国家と例えられ、それに煽られて金で情報を流すマスコミはその間諜とでもいいましょうか。
 
 さて、これで今日のまとめです。
 趙国が大敗北を喫し、40万人もの兵を失った責任は誰にあるでしょうか?
 確かに趙括は無能でしたし、最前線の現場責任者です。
 しかし、あくまでも彼は任命された一将軍に過ぎないのです。
 しかも、彼は両親からもダメ出しをくらうほどの人物です。
 故に、本当に責任があるのは、彼を召還して総大将に据えた孝成王にあると思うのです。
 しかも、孝成王は数々の諫言を受けているにも関わらず、強行したのです。
 
 わかりますか?
 まあ、馬鹿な民主党支持者はここまで言ってもわからないと思いますが、民主党を政権の座につけたのは誰でもない、お前らだってことを理解して欲しいのです。
 その上、今更被害者面して、政治家はダメだ、ダメだとか言うから始末に終えないのです。
 
 本当の被害者は、お前らじゃない。
 反対していたのに、巻き添えを食っている人達だ!!
 
 
 今日はこの一言を言いたかったのです。
 ちなみにこれを理解しないうちにまた選挙なんかしたって、どうせダメだと思いますよ。
 范雎クラスの政治家が出てくれば、日本も明るくなると思いますけどね。
 
 
 
 余談を一つ。
 今日話した趙括の父、趙奢は馬服君に任じられていました。
 そこから、馬姓が発生し、有名どころでは後の蜀漢の馬超なんかが子孫って言われてます。
 そう言われると趙括の負け方って、馬謖と似てたりもするなぁと感じたりしてます。
 
 
 
 
 
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