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2011.02.18

歴代No.1は近衛文麿で揺るぎない。

 昨日23:10臥床。本日5:20起床。気温10℃。天気:雨。
 朝、雨がすごいことになってた。しかし、気温が高くて暖かさの恩恵を強く感じた。
 なんか、今週は疲れてるみたいだ。朝、凄く眠い。
 
 
 
 
 
 ・歴代日本総理のワースト1位が決定
 
 
 気持ちはわかるけど、お前ら甘すぎる。
 
 日本には以前『近衛文麿』というスーパーボンクラ宰相がいた事を忘れてはいけない。
 …というか、近衛を知らないから、また、鳩山なんて馬鹿を選んじゃったんだろうけどね。
 
 
 本当は今日は近衛のボンクラぶりを滔々と書いてやろうと思ってたんだけど、時間が無くなったので軽く書きます。
 
 まず、太平洋戦争を始めた首相が誰かと問われれば、東條英機とかなりの人が答えるでしょう。
 確かに宣戦布告し、戦端を開いたのは東條英機ですが、東條英機が首相についた日が何時かと問われて答えられるでしょうか?
 東條英機が首相に付いたのは、昭和16年10月18日です。
 それで、太平洋戦争の開戦日は何時かと言えば、昭和16年の12月8日なのです。
 そうです、実は東條英機が首相についてから、僅か50日足らずで、開戦を迎えるのです。
 
 これを東條英機を首相にして、戦時内閣を組んだんだから当たり前だろって言うようならば、勉強不足も甚だしい。
 一端を挙げれば、戦時内閣で、外相東郷茂徳、蔵相賀屋興宣なんてありえないのです。
 東條内閣は、発足当時の一瞬ではあったが、日米戦回避の為に組閣された内閣なんですが、そこら辺は今日は説明はしません。
 
 
 それでは、近衛がどれだけボンクラであったかを今日は箇条書きで述べます。
 
 
 まずは、第一次近衛内閣の功績。
 
 ・昭和12年6月4日組閣。
 ・就任直後に共産党員や二・二六事件の逮捕者・服役者を"融和"をはかる為として、いきなり大赦しようとする。(元老・西園寺公望の反対でなんとか阻止)
 ・盧溝橋事件 → 支那事変が勃発。(盧溝橋事件の4日後には現地で停戦協定が結ばれたにも関わらず、三個師団の派兵決定、陸軍が求めていない予算まで計上し、拡大させる。その上、この予算の為に国民には増税する)
 ・第二次上海事変 → 上海に二個師団増派を決定。それまで国会で言い続けていた"不拡大方針"を放棄。(支那事変が世界的に日中戦争という認識に変わる)
 ・日独防共協定締結 → 大本営設置。(この翌月に巷では南京大虐殺と呼ばれる、南京攻略戦がおこる)
 ・御前会議で参謀本部による支那事変処理方針がまとめられるが、和平交渉の打ち切りを近衛の独断で決定。(そして「国民政府を相手とせず」と意味不明なことを述べる)
 ・国家総動員法などを公布し、戦時体制に移行。国家主義化の開始。(裏では防共護国団などを使い、各政党本部を襲わせたりする)
 ・日中戦争終結の為に改造内閣で広田弘毅から宇垣一成に外相を変えるも、宇垣が国民政府との話し合いにつくと外務省から日中外交の権利を切り離す。(興亜院の設置。宇垣は「梯子を外された」として、外相辞任)
 ・中国の内部分裂を模索するが、蒋介石にバレて逆に怒りをかう。(日中戦争の早期解決の道が閉ざされる)
 ・昭和14年1月5日内閣総辞職。
 
 
 まず、約二年でこれだけのことをやりました。
 これだけでも凄まじいとしか、私には言いようがありません。
 
 しかし、まだまだ続きます。
 
 
 
 第二次近衛内閣組閣までの功績。
 
 ・首相を辞めるも、次の平沼内閣に閣僚七人を留任させた上、自らも枢密院に転じ、無任所大臣として残る。(マスコミには近衛・平沼合流内閣と揶揄される)
 ・米内内閣の親米路線を牽制する為に"聖戦貫徹議員連盟"という厨二病をおこす。(ソ連共産党やナチスをモデルに新党樹立を目指し、日本革新党・社会大衆党・政友会久原派・政友会鳩山派・民政党を解散させる)
 ・日独伊三国同盟の締結の為、陸軍と結託する。(三国同盟を拒否した米内内閣を潰す為に陸相を辞任させ、後任を出さずに内閣総辞職させる)
 
 
 辞めた後の迷惑のかけ方は、今はポッポが酷いと言われてますが、正直、影響力はそれ以上です。
 
 
 
 第二次近衛内閣の功績。
 
 ・昭和15年7月22日組閣。(元老・西園寺公望は、近衛の首班推薦を断るも大命降下)
 ・外相松岡洋右、陸相東條英機という有名どころが閣僚に登用される。
 ・奇しくもこの年の8月15日の民政党の解散をもって、日本に政党が存在しなくなり、日本の議会政治の命日にもなった。(2ヶ月後、大政翼賛会の発足を迎える)
 ・経済新体制確立要綱を自らの閣議で決定しておいて、推進者をアカと呼ばわりし、共産主義者として逮捕・迫害をする。(この推進者の中に官僚であった岸信介がいる、コレにより岸は辞職する)
 ・日独伊三国同盟を締結。(しかし、これと日ソ中立条約を材料にアメリカと交渉しようとしていた松岡洋右外相の了解を得ずに、独自にアメリカ外交を始め、松岡に猛反発をくらう)
 ・独ソ戦が始まり「バスに乗り遅れるな」と機運が上がる軍部の邪魔をする松岡が鬱陶しくなり、松岡を解任する為、昭和16年7月18日総辞職。
 
 
 
 第三時近衛内閣の功績。
 
 ・昭和16年7月18日組閣。(松岡を辞めさせる為の総辞職だった為、外相が豊田貞次郎に変わっただけ)
 ・反対論者の松岡が辞めた為、南部仏印進駐を開始。(松岡は南進すれば、必ず日米戦になると言っていた南進反対論者だった)
 ・南部仏印進駐 → 対日石油全面禁止、米国内の日本資産凍結などが行われる。(これは内閣の予想を上回る対日制裁)
 ・御前会議にて「帝国国策遂行要領」を決定。内容は、10月上旬までに日米外交に進展がない場合は、開戦となっている。(昭和天皇は、この決定に反対だったとされている。しかし、表立って反対とは言えない為、明治天皇の歌を詠んで、大臣に再考を促したが効果がなかった)
 ・近衛は、日米首脳会談によって打開をはかるが、もはやルーズベルトは、機は熟したとし、日米首脳会談を拒否する。(この1ヶ月ほど前にルーズベルトとチャーチルは、大西洋で後に日本軍に撃沈される"プリンス・オブ・ウェールズ"上での大西洋憲章に調印済みであり、「後は、アジアの赤児が噛み付いてくるのを待つだけだ」と言うようなことを述べており、日米戦回避はアメリカの出す条件の無条件受け入れ以外にあり得なかった)
 ・昭和16年10月12日、近衛邸「荻外荘」にて、外相、海相、陸相、企画院総裁の五相会談で『私は、戦争には自信がないから、自信がある人がやってくれ』『私は、坊主にでもなりたい』とまた意味不明なことを述べ、内閣を投げ出す。(これは御前会議の決定を蔑ろにする行為であり、陛下絶対、御前会議絶対の陸相東條英機は、ここでブチ切れた)
 ・昭和16年10月18日総辞職。(この後の後継を決める重臣会議を仮病で欠席する。91歳で本当に病気だった清浦奎吾が看護婦付き添いで参加していた為、近衛のバカさ加減がさらに目立つとされる)
 
 
 
 太平洋戦争中の功績。
 
 ・東條に嫌われていた吉田茂に近づき、煽てられてパシリになる。(吉田は戦中も一貫して、英米交渉を模索していたので、一応名のある近衛は使えるのではないかと思っていた節あり)
 ・近衛上奏文を奏上する。(内容は軍部赤化論などで、共産化の脅威を語るには正しかったが、お前が言うな!と今なら突っ込まれる内容)
 ・ソ連脅威論を掲げながら、ソ連を仲介しての和平交渉の話が出てくるとしゃしゃり出てくる。(しかし、近衛のソ連仲介案は『日本の海外の全ての領土の放棄、並びに琉球諸島、小笠原諸島、千島列島の放棄と途方も無い上、将兵を労働力として提供する』というものであった為、スターリンが「アイツには会う価値ないだろ」って言ってくれて本当によかった内容だった)
 
 
 
 戦後の功績。
 
 ・ポツダム宣言受け入れの調印式に政府代表として出席するはずだったが逃げる。(出席してくれと重光外相が頼むと「皇族の誰かを行かせればいい」とほざく始末)
 ・東久邇内閣で、東久邇宮稔彦王と旧友であった為、副首相待遇でまたも無任所大臣として閣僚に名を連ねる。(こんな大変な時だから内務大臣をやるぜ、なんて気負うが当然そんな大事な役職にはつけない。そうなるとあっさりとこの内閣は長続きしないねなどと言い出す)
 ・何を血迷ったか、独断でマッカーサーに会ったりする。(そこでマッカーサーに「叱り」つけられるが、何故か「激励」されたと受け取る)
 ・東久邇内閣の総辞職が決まった直後にまたも独断でマッカーサーに会いに行く。(それでまたマッカーサーに叱られるのだが、またも何を血迷ったか憲法改正を自分に託されたと理解する)
 ・陛下に憲法改正の指揮をとれとマッカーサーから密命を受けたと奏上する。(陛下:え? マッカーサー:え?)
 ・昭和20年11月1日。マッカーサーは、わざわざ憲法改正を近衛に頼んでないと発表するはめになる。(近衛:怒る。 マッカーサー:だってお前犯罪者じゃん……)
 ・同年12月6日。近衛文麿にあっさりと逮捕状が出る。
 ・同年12月16日。出頭期間最終日、青酸カリにて服毒自殺。
 
 
 
 どうです、この凄まじさ!
 
 この輝かしい功績!!
 
 コイツを歴代No.1と言わずして何と言う!!!
 
 
 
 ぽっぽが可愛いとは言わないけど、近衛に比べたらまだまだ小物さ。
 
 まっ、こんな歴史があるのに鳩山を総理に選んだ日本国民は大概な大物かも知れないけどな。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 昨晩はアニメを見なかったので、今日は感想なしです。
 
 
 
 
 
 
 
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