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2010.10.14

大失敗の巻。

 昨日22:30臥床。本日5:30起床。気温20℃。天気:曇。歩数9808。
 今日は二度寝して、ちょっと寝坊気味だった。首の裏がちょっと痛い。
 
 
 
 
 
 
 ・本日、文章が破綻してるので、あまり読むことをオススメしません。
 
 
 今日は昨日の続きを書こうかとも思いましたが、あまり続けて同じ話題を書かないことにしているので、今日は教育についてちょっと書こうかと思います。
 
 国の根底をなすものは、教育であると私はここ最近特に感じています。
 
 いつもながらに歴史的なところからアプローチすれば、明治維新時に大きな力をなした長州藩には、有名な松下村塾というものがありました。
 この松下村塾の門下生は60名ほどと言われていますが、たったその60人の中から「高杉晋作、久坂玄瑞(この二人が双璧)、吉田稔麿(ここで三秀)、入江九一(ここまで入れて松下村塾四天王)、伊藤博文、山県有朋(この二人は後の総理大臣)、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義、野村靖、飯田俊徳、渡辺蒿蔵、松浦松洞、増野徳民、有吉熊次郎」など後年、名を馳せる人物を輩出しています。
 
 そして、明治維新時にこの長州藩に激烈に対抗するのが、会津藩なんですが、その会津藩も日新館と言う有名な藩校を抱えていました。
 この日新館は藩校ですので、会津藩の子弟ならみんな入っているので、会津藩出身者は皆ここの出身者となります。
 幕末をかじったことのある人なら聞いたことがあるかも知れませんが、この日新館には『ならぬことはならぬものです』と言う、有名な"什の掟"というものがありますね。
 
 ちなみによく勘違いされている方がいますが、この什の掟というのは、日新館で教えられるのではなく、会津藩では6歳になると"什"という、現在の"町内の子ども会"みたいのに入る為、そこでの掟なので、日新館に入るのが10歳ですから、日新館に入った時は皆、既にこの掟を何年も守ってきた後のことなのです。
 
 什の掟とは、什によって多少違いっていたと言われていますが、大体↓のようなものです。
 
 
 一、年長者(としうえのひと)の言うことに背いてはなりませぬ
 一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
 一、嘘言を言うことはなりませぬ
 一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
 一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
 一、戸外で物を食べてはなりませぬ
 一、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
 一、ならぬことはならぬものです
 
 
 …途中は違っても最後の「ならことはならぬものです」だけは、どこの什にもあったそうです。
 そんなこともあって、この最後だけがインパクトもあるし、よく取り上げられているのかも知れません。
 
 ちなみに日新館の心得になると内容は17項目にも増えて、書いてあることももっと細々としています。
 
 
 明治維新時に忘れてはならない藩としては、薩摩藩がありますが、薩摩藩にも造士館という有名な藩校がありました。
 これがまた教育制度は、会津藩とすごく似ていて、会津藩の什という集まりに対して、薩摩藩にも"郷中"と言うものがありました。
 
 それで郷中の教えが↓のようなもので、
 
 
 ・武士道の義を実践せよ
 ・心身を鍛錬せよ
 ・嘘を言うな
 ・負けるな
 ・弱いものいじめをするな
 ・質実剛健たれ
 ・たとえ僅かでも女に接することも、これを口上にのぼらせることも一切許さない
 ・金銭利欲にかんする観念をもっとも卑しむこと
 
 
 …会津藩の什の掟と結構似通ってるかと思います。
 
 まあ、そんなわけで会津人と薩摩人は、私は根本は似ていると思っています。
 ただ担いだというか、率いていた人物の性格が違うのです。
 
 
 ここで率いていた人物という話が出たので、会津藩を率いた会津藩主、松平容保についてちょっと書きますと、この人は元々美濃高須藩出身で、養子として会津藩主に迎えられた人物なわけです。
 それでですね、この会津藩と言うと徳川家光の弟にあたる保科正之が藩祖になるわけで、この保科正之が残した「会津家訓十五箇条」というのがありまして、この第一条が「一、大君の儀、一心大切に忠勤を存ずべく、列国(諸藩)の例を以て自ら処(お)るべからず。若し二心を懐かば、則ちわが子孫にあらず、面々決して従うべからず」と言うものなんですね。
 これを現代訳しますと「会津藩たるは将軍家を守護すべき存在であり、藩主が裏切るようなことがあれば、それは既に私の子孫ではないので、家臣は従ってはならない」というものなのですよ。
 それで、容保は養子で来たせいもあって、この"会津家訓"を幼少の折から会津藩家老たちに叩き込まれるんですね。
 これも教育の賜物というか、会津藩にとってはある種の不幸の原因にもなりましたが、明治維新時に容保は頑なにこれを守った為、倒幕軍の矢面にずーっと立っていくのです。
 
 
 ちなみに最初に挙げた松下村塾は、後の長州藩出身者に多い現実主義者を育てるというか、時事問題の討論教育などが行われていたと言われています。
 要は実際あった問題に対して、みんなでああすればよかったとか、こうすればいいんじゃないかとかを吉田松陰を含めて話し合ったということなんですね。
 吉田松陰は、よく先生と呼ばれていますが、教えるにあたっては上から押し付けるのではなく、みんなで考えて行こうって感じの教育が強かったみたいです。
 故に松下村塾は、吉田松陰が教えた期間が約2年と短く、自身が投獄されてしまっても残った塾生たちが纏まっていた為、後の明治になっても松下村塾閥みたいのが出来るくらい繋がりも深かったのです。
 
 
 
 続きましては、江戸から明治・大正・昭和になると「教育ニ関スル勅語」というものが、日本人の教育根本規範に据えられます。
 
 これはどういったものかといいますと明治天皇の言葉として、6文315字の中に国民にこうやって生きていこうよと語りかけ、そして、それも自分が率先してやるよと言われた決意書みたいなものです。
 
 簡単に書けばこのようなものなのですが、これは戦後、狂った左翼教師たちよって目の敵のようにされ、軍国主義の象徴みたいに扱われた為、現在の壮年世代の方はちゃんとした内容を殆ど知らないかと思います。
 それで、よく言われている内容を書き上げますと↓のようなものです。
 
 
 ・「父母ニ孝ニ」 「孝行」 「親に孝養を尽くす」
 ・「兄弟ニ友ニ」 「友愛」 「兄弟・姉妹は仲良くする」
 ・「夫婦相和シ」 「夫婦の和」 「夫婦はいつも仲睦まじくする」
 ・「朋友相信シ」 「朋友の信」 「友達は互いに信じ合う」
 ・「恭倹己レヲ持シ」 「謙遜」 「常に慎み深く奢ることなかれ」
 ・「博愛衆ニ及ホシ」 「博愛」 「全ての人々をあまねく愛する」
 ・「学ヲ修メ業ヲ習ヒ」 「修学習業」 「勉学に励み職業に精進する」
 ・「智能ヲ啓発シ」 「智能啓発」 「知識を養い才能を切り開く」
 ・「徳器ヲ成就シ」 「徳器成就」 「徳を養い人格を磨く」
 ・「公益ヲ広メ世務ヲ開キ」 「公益成務」 「進んで公益を広め世の為に働き」
 ・「国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ」 「遵法」 「国の定めた法律を重視し遵守する」
 ・「義勇公ニ奉シ」 「義勇奉公」 「万一非常事態に至れば、正義と勇気の心をもって公の為に尽くす」
 
 
 …という12項目からなるものです。
 
 どこかの某クルクルパーのせいで、友愛って言葉がスゴく悪い言葉に聞こえてしょうがない昨今ですが、私はとてもこの中に悪いことが書いてあるとは思えないです。
 
 まあ、糞左翼はですね、必ず「一旦緩急(かんきゅう)アレバ、義勇公(こう)ニ奉(ほう)ジ、以テ天壌(てんじょう)無窮(むきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スベシ。」という文章にイチャモンをつけてきますので、この辺について、私が当時の世界情勢から説明します。
 
 
 この「教育ニ関スル勅語」が発布されたのが、1890年(明治23年)のことです。
 1890年といえば、日清戦争の4年前にあたり、日本国としては列強からの植民地化をなんとか逃れ、独立を保ち得ようと苦悩していた頃です。
 幕末に結ばれた不平等条約の改正もまだ行われていないので、国家としては二流国です。
 そして、9年後の1899年には、フィリピンがアメリカに植民地化されたりしているような、列強の世界植民地化時代です。
 当時の国の指導者たちは、とにかく列強による日本の植民地化を恐れていましたから、どうしても最後にこの一文を付けずにはいられなかったのです。
 
 ちょっと前に私が"ニッコロ・マキャヴェッリ"の言葉で「国家が危機に陥った場合、政治家は(国家存続の)目的のために有効ならば、手段を選ぶべきではない」と言うのを取り上げましたが、コレはまさにこの事なのですよ。
 左翼というか、日本の共産主義者は、総じてこの国家主義というのを嫌うので、国家の存続の為に個人の権利を喪失してもいいのか、なんて言いますが、それは全くもって、自ら住んでいる場所を蹂躙、略奪されたことのない、妄信者の思想でしかないのですよ。
 マキャヴェッリは、自分の国を失い、莫大な罰金を課せられて、激しい拷問まで受けているので、祖国が亡くなった時の大変さを重々承知しているのです。
 
 
 「国家なくして、個人の権利なんか有り得ない」のです。
 
 
 確かに中国なんかの共産主義国家では、国家ではなく、共産党という私集団かもしれない。
 ただ根本にあったハズの共産主義なんかあっという間に捨てられ、今となっては、超国家的資本主義国家に成っているのではないのでしょうか。
 国家という名前が中国共産党になってるだけで、共産主義の根本たる資本家的私的所有の廃絶を目指してるとは、もはやとても思えないです。
 
 
 まあ、だいぶ話が逸れちゃいましたけど、教育勅語が発布された時には、万一には国の為に働こうって言うのはしょうがなかったということが言いたいんです。
 そうしなきゃ、国がなくなってたかもしれないんだからね。
 
 それとこの義勇奉公が、昭和になるとおかしな方向に使われちゃったのは、使った人間が悪いのであって、教育勅語自体が悪いわけではないと思います。
 包丁だって、優れた板前さんが持てば素晴らしい道具だけど、殺人鬼が持てば、恐怖の武器であるようなものです。
 使う人間、ソフトが悪いのをハードのせいにしたら、この世の中の便利なものなんて、ドンドンなくなっちゃうんじゃないですか。
 こんにゃくゼリーから公園の遊具まで、道具を悪者にして、逃げるのはあまり良くないと思います。
 まあ、人を殺す為にしか使えない拳銃とかの規制はしょうが無いと思いますけどね。
 
 
 
 こういう事からも、道具を責めるのではなく、使う人間を教育することが大切だと思うのです。
 
 
 
 
 さて、これで江戸から昭和初期の教育について書いてきましたが、長くなりすぎて、今日の落しどころがまったく浮かびません。
 正直、ここまで書いて、自分でも何が言いたかったのかわかりません!
 今日は、大失敗な感じです。
 
 
 そんなわけで、今日は尻切れトンボですが、ここで終りにして、今晩一晩考えて明日まとめを書こうと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 ・石破茂「事前通告が無いから大臣が答弁できない?そんな政府はやめっちまえだ!」
 
 
 民主党って、散々自分たちがやってたことを、なんで自分がやられると出来ないって言うわけ?
 
 
 子供なの?  いや、子供に失礼だ。
 
 馬鹿なの?  いや、馬鹿にも失礼だな。
 
 
 なんなの!?
 
 
 私には理解出来ない。
 
 
 
 
 
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