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2010.10.01

バカン戦争とバカン首相。

 昨日17:00臥床。本日7:20起床。気温21℃。天気:曇。
 結局、昨日は体調不良で早退した。熱が38.8℃まで上がる。かなり辛い。

 
 
 
 

 ・バカン戦争とバカン首相。

 

 語呂が良かったので、今日は馬関戦争からバカン首相を批判してみようと思います。

 丁度、馬関戦争はバカンの地元のお話で、奇兵隊内閣なんて言ってたわけだし、高杉晋作も深く関わっているので、非常に良い感じなのです。

 

 馬関戦争とは、一般的には下関戦争と言われているものです。
 ただ下関戦争と言うと前後二回ある為、その総称として使われることが多く、馬関戦争というとその中でも後者の方を指すことになります。
 そして、今日のお話は後者の方がアプローチしやすいので、これもまた都合がいいのです。

 それでこの下関戦争というのは、前期が1863年、攘夷思想荒れ狂う長州藩が馬関海峡を封鎖し、航行中の米仏商船に対して砲撃を加え、その報復に米仏艦隊が長州の軍艦を沈めたのですが、長州藩はそれでも引かずに陸に砲台を設置して、海峡封鎖をしたことを言います。
 そして、後期が1864年、海峡封鎖によって多大な経済的損失を受けた英国が、米仏欄に呼びかけ、艦船17隻による連合艦隊を編成し、馬関及び彦島にあった砲台を徹底的に砲撃、そして、陸戦隊を上陸させ、占領したことを言います。

 長州藩は、この直後には京都で"蛤御門の変"を起こしており、地元で敗れ、京都で敗れるという散々な目に合います。

 

 そしてですね、この下関戦争の後期、馬関戦争の講和会議に"高杉晋作"が全権として出てくるわけです。
 この時のイギリス側との講和は、賠償金300万ドル、下関海峡の外国船の通航の自由、石炭・食料・水などの生活物資の外国船への売渡し、悪天候時の下関への寄港、砲台の撤去の五か条で講和が結ばれます。

 

 実はですね、ここで大事なことが一つだけ、高杉晋作の断々乎たる反対によって、削除された項目があります。

 
 

 それが『彦島の租借』です。

 
 

 後年、初代内閣総理大臣の伊藤博文翁の談話によれば、これだけは高杉さんは、絶対に受け入れなかった。もし、この時、この租借を引き受けていたら日本の歴史は大きく変わっていただろうとも自伝に記しています。
 そして、伊藤博文は彦島の前を船で通過した際、「あのとき高杉さんが租借問題をうやむやにしていなければ、彦島は香港になり、下関は九龍半島になっていただろう」とも語っているのです。

 
 
 
 

 どうだ、わかったか!

 

 このバカン首相!!

 

 金や食料は、譲ったところで取り返しがつくが、領土は譲ったら取り返しがつかねーんだよ!!!

 

 お前は今すぐ、馬関海峡に身を投げて死ねッ!

 
 
 
 

 まあ、今日は体調が悪いので、このへんで勘弁してやるわ。

 
 

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