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2010.08.04

戦国武将データファイル 9号。

Busyo_9
 
 
 
 今回は毛利元就が表紙です。
 
 正直、あまり詳しくありません。というか、好きじゃないんです。
 別に中国地方の三大謀将って呼ばれたりしてる負のイメージが強いとかじゃなくて、毛利家があまり好きじゃないんです、後世の関係で。
 
 実際、私の中での元就はあまり謀将というイメージはなくて、あの状態からよくもまああそこまで版図を広げたなという正のイメージのが強いです。
 謀将というよりは、知将のイメージかな。かなり戦もこなしてて、ガチンコの修羅場をいくつもくぐってますからね。
 
 
 そんなわけで、今回の武将名鑑は毛利元就より、九鬼嘉隆や結城秀康、先々週の小牧長久手の戦いで出てきた森長可などの方が楽しめます。
 
 九鬼嘉隆は、九鬼水軍で有名な海賊大名なんて呼ばれた人です。
 毛利元就とも関係が深く、摂津木津川沖で水軍戦を二度に渡って行ったりしてます。
 第一次は毛利家の勝利で、第二次は有名な鉄甲船を擁した九鬼水軍が勝っています。
 嘉隆は最後は残念で真田家よろしく、父子が東西に別れて戦うことになり、西軍についた嘉隆は関ヶ原の戦いで、西軍の敗報が伝わると身を隠して自害してしまうのです。
 
 結城秀康は、秀康も面白いですが、実は結城氏がそれ以上に面白いです。
 これを書くと長くなるので今回は書きませんが、結城氏って、小山氏の傍流なんですけど、結城氏は源氏を名乗っていて、嫡流の小山氏は藤原氏の出自だったりするところが面白いんですよ。
 
 森長可も先々週の7号で負け、負けの小牧長久手で取り上げられていますが、実は長可はこの戦い以外は、結構素晴らしい活躍をしていて、信長の寵愛も篤く全盛期は美濃信濃に30万石近い石高を持っていたと思われます。
 まあ、寵愛の度合いではどうしても弟の森蘭丸こと森成利のが有名ですけどね。
 ちなみに私は、信濃制圧時のなで斬りや本能寺の変の後の信濃撤退戦において、人質を騙して全部殺したりしている長可は、人間的に好きではありません。
 なんていうかね、この森氏自体に問題が多い気がします。
 この長可の弟の忠政も後に兄と同じく、上杉謙信対武田信玄で有名な信濃川中島海津城主となるんですが、上記した長可の信濃撤退戦時に武田信玄の名臣で高坂昌信の息子である高坂昌元の息子、ようは昌信の孫です、を騙して殺してんのに何を血迷ったか、あの時の恨みとばかりに入領と共に高坂一族を全員磔にしたりしてるんですよ。
 もうこの辺が私は全然受け付けないので、能力的なことはともかく、生理的に森氏は好きになれません。
 
 
 
 合戦リストは小田原攻めですね。
 今日は文章が長くなってることもあって、取り上げるのはやめます。
 
 
 
 名城コレクションは犬山城です。
 久しぶりに戦国期の血生臭い城じゃないですか。
 この城は好きなので、ちょっと書きます。
 
 先々週の小牧長久手の戦いで引き金を引いた城としてが一番有名ですかね。
 その後は関ヶ原の戦い時にちょっと出てきます。
 まあ、熱い籠城戦とかはありませんが、勇壮な戦国期の城ですね。
 木曽川の畔に建つ姿は、実に一度は下から見上げて欲しい城です、ものすごくカッコいいんです。
 
 それで、この犬山城、実はつい近年まで個人の城だったのです。
 2004年4月に財団法人に移管されたのですが、それまでは日本で一番最後の個人所有の城で成瀬家の物だったのですよ。
 それでですね、この成瀬家というのは、徳川家康の側近であった成瀬正成が尾張藩附家老として、城主になったのが始まりなんですが、どちらから話すべきかと悩みますが、まずは成瀬正成という人について書きます。
 
 成瀬正成は、先々週の小牧長久手の戦いでちょっと書いた安藤直次・永井直勝らと同じで、徳川十六神将と呼ばれる人達の一つ下の世代で、家康が育て上げた若き俊秀の一人です。
 成瀬正成のデビュー戦も小牧長久手の戦いで、当時17歳でした。
 その時に敵の首を取り、その働きによって家康に目をつけられ、500石を与えられたのが出世の始まりと言われています。
 そして、その翌年には秀吉の紀州征伐によって、紀州を追われた根来衆を配下に付けられ、一軍の将となるのです。ちなみにこれは家康の配下では最年少記録と言われています。
 なんとなく育てられ方が、武田の旧臣を配下につけられて育てられた井伊直政に似てる感じもします。
 
 そして、その後は家康の側近として、根来組という鉄砲隊を率いて、小田原攻め、関ヶ原の戦い、大坂の役などで活躍します。
 正成は武将としても優秀でしたが、内政の腕も抜群で江戸幕府初期の老中として、上記した安藤直次と共に幕政に参与しています。
 
 そして、後年、尾張藩附家老になるのですが、この附家老というのがどういうものかと簡単にいいますと、家康の子供が藩主として立った藩に家康が「子供の面倒をみてくれや」みたいな感じで付けた家老を附家老と呼ぶのです。
 そんなわけで、普通、諸藩の家老と言ったら、将軍→藩主→家老となるわけで、本筋では将軍の陪臣になっちゃうんですけど、この附家老だけは特別扱いされて、叙爵が受けられたり、将軍家と直接交渉なども出来たりしました。それどころか、将軍の為の藩主の目付みたいな感じになっちゃった人もいたりして、結構藩主からは煙たがれたりもしました。
 まあ、この正成の他にも一緒に出てきた安藤直次も紀州藩附家老となるわけで、この二人なんかはちゃんと藩主を助けたので、安藤直次は紀州頼宣に「自分が大名としていることができるのは、直次がいてくれたからだ」とまで言われたりしています。
 
 …というわけで、犬山城は尾張藩附家老、成瀬家の物として代々江戸時代を受け継がれ、その後、明治維新で政府に接収されますが、地震で壊れたのを直すのを約束にまた成瀬家に戻ってきて、政府が個人に直せって下賜するのもどうかと思いますが、現在の財団法人に移管されるまでに至るのです。
 
 
 成瀬正成・安藤直次は、戦国武将としては知名度は低いかも知れませんが、ものすごく優秀なので興味のある方は調べてみると楽しいと思います。
 私は、二人共すごく好きです。
 
 正直、この戦国武将データファイルは何回も同じ武将を取り上げてないで、こういう武将を取り上げて欲しいと思っています。
 
 
 
 
 
 
 ・【社会】日本人の平均寿命はインチキ!? “名ばかり100歳超”相次ぎ発覚で世界一の座も危うい
 
 
 あーあー、本当に老人の社会機構っていい加減だわ。
 でも、これって規則も罰則もないから、誰も悪くないんだって。
 
 日本の長寿は、インチキ公務員が捏造してたんやー!
 
 
 ちなみに私の祖父が105歳なんですけど、昨日、区から会いに行ってもいいですか?って電話が来たそうです。母が笑って言ってました。
 うちの爺様は、千鳥ケ淵戦没慰霊祭に行って、最年長ということで小泉純一郎から賞状もらって帰ってきた強者で、まだピンピンしてます。
 1歳の曾孫たちと撮った1世紀差の写真は壮観です。
 
 
 
 
 
 ・【マスコミ】テレビ東京、「終戦の日」池上彰で特番
 
 
 この間の選挙特番のように、少しでも正しいことが語られることを期待します。
 
 ひとつ言えることは、丁度シーズンで原爆のことなんかもやってますが、「平和、平和……」と念仏を唱えたって、平和になんかならないということです。
 
 
 
 
 
 ・緊急!トップページの右サイドバーのデザインが崩れている!
 
 
 バカログがまたやりやがった。
 そして、全然情報を流しやがらねぇ。
 この辺の態度が一番気にいらねぇ。
 
 
 もう無駄な改悪はやめろ!!
 
 
 
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