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2010.07.09

キングダム。

 

キングダム(11)

キングダム(11)

価格:円(税込、送料込)


 
 
 
 
 
 ヤングジャンプで連載中の漫画なんですが、今、個人的にすごく盛り上がってきました。
 なんて言うかね、知ってる武将がドンドン出だして熱いんですよ。
 
 王賁が出てから続々ですよ。
 蒙恬、蒙ごう、廉頗、王翦、桓騎とかなり役者がそろってきた感じ。
 
 それで、まあ、この中なら誰でも話になるから誰でもいいんだけど、一人だけ秦所属じゃない"廉頗(れんぱ)将軍"を今日は書きましょうかね。一番年上そうですしね。
 
 
 さて、この廉頗という人は、中国の戦国時代の趙の国の将軍です。
 将軍として非常に優秀で、大国である秦相手に一歩も引かずに戦ったりしました。
 
 かの有名な司馬遷著書の『史記』では、「刎頸の交わり」というお話で、藺相如(りんしょうじょ)と一緒に出てきます。
 
 これがどんなお話かといえば、廉頗は武将としてとっても優秀な人だったので、武功に関しては並ぶものはなく、趙軍の総大将であったわけですが、歴史に数多あるケースと一緒で宮中に入れば、文官である藺相如のが位が上だったわけです。
 はい、当然廉頗はこれが面白くありません。
 日本でわかりやすく言えば、石田三成と加藤清正、福島正則みたいなものですかね。
 
 ただここで三成と清正たちと違うのは、藺相如が三成とは宰相としての器が段違いに優秀であること。
 藺相如は、廉頗将軍によく思われていないことを知ると病気と称して外出をやめるんですが、ある日、引き篭っている藺相如を心配した家臣の薦めで馬車に乗り散歩に出かけるんですね。
 その時、前方に廉頗将軍の馬車を見つけると家臣に命じ、道を変えさせて、廉頗将軍に道を譲るような形を取ります。
 それを見ていた家臣たちが、その晩、「ご主人さまの匹夫のような振る舞い。さらにそれを恥じないご主人さまの態度には我慢がいきません」とみんな辞職願いを出してくるんです。
 その時に藺相如が家臣たちに諭した言葉が、コレだ!!
 
 
 「強大なる秦国が何故わが国を滅ぼそうとしないか解るか?それは、わたしと廉頗将軍がいるからだ。今、廉頗将軍との間に亀裂が生じれば、それこそ秦の思う壺。わたしがあのような行いをするのは国家のためなのだ」
 
 
 これを聞いた家臣は納得し、いずれこのことが噂となって広まり、廉頗将軍の耳にも伝わるのです。
 そして、それを聞いた廉頗将軍は、藺相如を批判していたことを恥じて、藺相如の前に上半身裸でいばらの鞭を持って言った言葉が、コレだ!!
 
 
 「この荊(いばら)の鞭でわたしをお打ち下さい」
 
 
 これに対して、藺相如は"将軍あっての趙国です"と廉頗をたて、その言葉に廉頗将軍は藺相如に心服し、『あなたのためならば、たとえ頸(くび)を刎ねられても悔いはありません』といい、また藺相如も『わたくしも将軍のためならば、喜んで頸を刎ねられましょう』と言ったわけです。
 
 このことから、刎頸の交わりという言葉が生まれたということなのです。
 
 このお話は、史記の中でも面白い方なので読むにはオススメです。
 
 
 
 ものすごく余談ですが、近年日本史上にもこの刎頸の交わりという言葉が出てくる時があります。
 それは、あのロッキード事件の際に証人喚問を受けた小佐野賢治が田中角栄との関係を問われた際に「刎頸の交わりだ」と答えた時です。
 
 ただ皆さんの記憶には、その時小佐野が連発した「記憶にございません」の言葉の方が、記憶に残っていると思われるのが歴史の皮肉と言えるのかも知れません。
 
 
 
 
 いつものように話は逸れましたが、戻してキングダムの話。
 現在のキングダムのストーリー上では、廉頗将軍は魏に所属していて、秦の蒙ごう、王翦、桓騎、李信、王賁、蒙恬と戦っている最中です。胸熱です。
 
 ちなみに正史では、趙から魏へ、魏から楚へ行って廉頗将軍は死ぬんですが、魏、楚では大軍を率いた記録はありません。
 廉頗将軍があまりに名将として有名だったので、魏王も楚王も怖くて軍を預けられなかったということと、廉頗将軍自身が"私は趙軍を率いたいのである"と言って、趙軍以外を率いるのを断ったとも言われています。
 
 
 

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