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2010.07.17

伍子胥。

Gosisyo
 
 
 
 今日は怒りの人『伍子胥(ごししょ)』ですよ。
 
 この間、廉頗を取り上げたんだから、出来れば藺相如を取り上げたいんだけど、生活になぞらえるとこっちが先になっちゃいました。
 
 
 私は、怒りが蓄積されるといつも伍子胥のことを考えるのです。
 今、仕事でもの凄い馬鹿と付き合ってて、私が散々言ったにもかかわらず、言うことを聞かずに昨日失敗したのですよ。
 もうこれがさ、年下ならまだ怒ればいいんだけど、年上だから始末が悪い。
 地位はこっちのが上でもなんとなく怒鳴り散らすことも出来ずに怒りのみが私の中に蓄積されるのです。
 そんなわけで、私は怒るとそれを収めるために伍子胥のことを考えることにしてるので、今日は伍子胥なんです。
 
 
 伍子胥とは、中国春秋時代の人で「史記」では序盤の花とも言える伍子胥列伝があります。
 伍子胥列伝では逸話が多く、後の故事成語をいくつも生み出しています。
 
 伍子胥は楚人で、家柄は楚の名家で太子の教育係であった父親の次男坊でした。
 それである日、太子の相続争いに巻き込まれた父親と兄を楚王に殺されてしまうんです。
 元々、楚人は激烈な性格と言われている中、伍子胥も違わずに激しい性格であった為、父と兄を殺された恨みをはらす為に楚を命からがら抜け出し、呉という国の太子光に仕えます。
 
 太子光が呉王となると伍子胥も側近として呉王を補佐し、呉国を強国へ育て上げ、遂に楚へと攻め込みます。
 この時、一緒に呉王に仕えていた人物の中にかの「孫子の兵法」で有名な孫武もいました。
 伍子胥、孫武の両輪がそろった呉軍は強く、楚の首都、郢を落としますが、実はその時には恨みの対象であった楚の平王はすでに亡くなっていたのです。
 ただ雌伏14年、艱難辛苦の上ここにたどり着いた伍子胥は、その死を是とせずに平王の墓を暴き、死体に鞭を打ったのです。
 ここから「死屍に鞭つ」という故事成語が出来たのです。
 
 まあ、現在の日本では「死者に鞭打つ」と言うと礼を欠いた心ない発言と非難めいた意味で使われますけど、実際、中国では伍子胥は父と兄の仇を討った英雄であり、崇められている事が多いです。
 ちなみに5月5日の端午の節句の由来で一番有力とされているのは、中国では屈原ですが、日本ではお盆に川に供養佛を流す習慣の出が伍子胥の怨念を鎮めることにあったと同時に伍子胥の命日が5月5日であった為、そこから端午の節句が出来たという説もあったりします。
 近年、起源大好き土民国が端午の節句の起源を提唱して、中国に烈火の如く怒られたのはこの点からもしょうがないと思います。
 厚顔無恥とはこういう事をいうのでしょう。
 ちなみに厚顔無恥の起源も中国の「詩経」からであって、鮮人国にぴったりな言葉ですが、鮮人国起源ではありません。
 
 
 また話が逸れていきましたが、死屍に鞭打ったことで、道義的に責められがちな伍子胥ですが、本人も笑って鞭打ったわけではなく、後に親友の申包胥に「やり過ぎではないか?」と言われて伍子胥は「日暮れて道遠し、故に倒行してこれを逆施するのみ」と答えたと言われています。
 "日暮れて道遠し"は、老いてしまったがやりたいことはまだあるという意味で、"倒行してこれを逆施する"は、人の道を逸れているかも知れないがやらなければならないことがあるという意味です。
 伍子胥にとっては、父と兄の仇討ちの為に生きてきたのであって、どうしてもそれをやり遂げねばならないといったことからの行動だということでしょう。
 
 
 伍子胥の話は長いので、これで半分くらいなんですが、今回の主題は私の怒り=伍子胥ということで取り上げたので、この辺でまとめに入ると私の中では伍子胥の死屍に鞭打つのはかなり肯定的に受け入れられています。
 私の中で親兄弟が殺されれば、これくらいのことをしても構わないという思いがあります。
 
 ただ歴史上において、恨みの連鎖というのはよくないということもわかっていたりします。
 易姓革命の起こる国家は、自らの身を守る為にも前政権の血縁関係者を根絶やしにします。
 しかし、それをおこなった国家は大体短命で終わるものなので、中国史で言えば、五胡十六国時代、五代十国時代なんかは凄まじい勢いで政権国家が代わるので、虐殺も凄まじく、屠城屠城の連続です。
 ちなみに屠城とは、老若男女問わずすべて城内にいる人を殺すことで、同じようなので洗城という血で城を洗うという意味の虐殺もあったりします。
 
 かなり話は逸れますが、近世史に南京大虐殺と言うのがありますが、今現在30万人が殺されたなんて言われてますが、当時の南京の人口が20万人なのに30万人の虐殺はありえず、もしあったとしたらそれは屠城であり、南京は屍の山になっていなければならず、その後普通に外交官が駐留する都市として機能しているわけがない上に、日本人には屠城という習慣や思想がなく、屠城大好きっ子の中国人の妄想でしかないということを書いておきます。
 まあこれを焚きつけたのが、かの有名な朝日新聞社と言うところなんですけどね。
 
 せっかく易姓革命の話が出てきたので、ちょっと余談を書きますが、易姓革命の無い日本では、氏の中で一番仲の悪そうなイメージのある源氏と平氏ですが、お互い政権をとってますが、氏を絶やすほど血で血を洗う争いなどしたことがなく、鎌倉幕府をひらいた源頼朝の妻は平氏の出で、その後執権として権勢をふるった北条氏は平氏でありますが、河内源氏の嫡流亡き後の源氏の嫡流とも言える足利氏とは姻戚関係を濃く結ぶ為、北条氏を打倒した足利尊氏の妻もまた平氏の北条氏の出だったりします。故に鎌倉、室町共に2代将軍は源氏と平氏の子というわけです。
 さらに遡れば、源氏も平氏も同じ皇室の出なので、そこまで忌み嫌うことなどありえないのです。
 さらにさらに、江戸時代ともなれば、織田・豊臣・徳川・皇室の超複合血縁時代が来るので、日本人であればみな兄弟みたいなものなのです。
 なんで、こんなことを書いたかといえば、先日あまりに無知な「平家の末裔である新婦と、源氏の末裔である新郎」っていうのを見て怒りを感じていたからです。嘘をつくにしろ、もっとうまくつけと言いたいのです。
 もし、もしも、これが本当だとしたら、まあありえないけど、お前らは平氏源氏を名乗るのをやめろとも言いたいですね。
 今だにこういう結婚出来ないなんていうのが残ってるのは、氏ではなく、地域じゃないですかね。
 私が会津生まれなら、薩長常州とは絶対に結婚しないかなと思うくらいです。
 
 
 はいはい、話を戻して怒りについてですが、怒れば恨みがおこるので、なるべく怒らないようにしようと思ってるっていうのが、今日の主題なわけですよ!(やっとたどり着く)
 
 そんなわけで、人生なるべく怒らず、恨まれずに生きていきたいものですが、今またそれをさせてくれそうにない人が国務大臣にいますね。
 
 伍子胥だって、父と兄が殺されなければ、ここまで歴史に名を残すこともなく、楚の名臣として生きていたかもしれないわけですし、人と人との争いというのは難しいわけです。
 そんなわけで、現在の世には法律というものがあり、罪をおかせば、罰を国があたえることによって、人と人との恨みの連鎖をとかなければいけないのですよ。
 
 わかりますか? 今なんだか、その法律を守らずに死刑執行を止めてる法務大臣がいますが、そんなことをすれば国としての大前提が崩れるのですよ。
 国が責任をもって犯罪者に向かわないでどうするんですか。
 恨み恨まれ、仇(あだ)だ、敵(かたき)だの世界をつくりたいのですか。
 
 そんな世の中は私は御免です。
 故に国がしっかりと犯罪者に対しては死刑を行使することが恨みの連鎖を断ち切るすべであり、国家国民の安寧の為なのです。
 
 
 
 今日は長すぎだー。
 伍子胥はまだまだいろんな逸話があるので、またいつか取り上げられるといいなぁ。
 
 
 
 

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